昭和51年8月23日上原家霊祭

  上原さんおかげを頂きましてありがとうございました、御霊様達はこれをそれこそ待ちに待っておられた、これはお祭りを待っておられたというのじゃなくて、合楽でおかげを受けられるということを待ちに待っとられたという感じですね。
 私は思いますのに御霊様が喜んで下さるということはね、子供が例えば親の御霊様に真心一杯にこめて奉仕をするということは、そのまま天地の親神様がお喜びになる、天地乃神様がのお喜びが御霊に通って、御霊が喜び天地乃親神様が喜びそして遺族の喜びが返ってくるというのが御霊のお祭りです。
 今日私は何故そんなことを、合楽にご縁を頂かれたという事も、今合楽でいわれております示現活動に現われた訳です。神様が不思議な働きを示し現して下さった訳です。
 けれども、●2今日私神様にお礼を申さしてもらいよりましたら、昔は三味線箱は桐で出来ていたでしょうが、桐の箱、あの桐のはこの蓋をとって中から三味線を三つに折って「天神、竿、胴」というように折りたたんで入れてありますよ。
 先ず「天神」を出して「竿」を出してそれをきれいにつぎ合わせて、そして私が本調子に、調子合わせるところをいただきました。
 私いただいてから思うんですけど、御霊祭りということは、どこの御霊祭りであってもこげんありがたいことは無いと思うですね、目に見えない処からのいうならば、喜びが聞こえてくる思いがするです。
私が、これは私が若い時に道楽しておりますから、三味線のけいこしとります、いうならば、今、○○教会でおかげ頂いて納まる処に納まってござった。
 けれどもね、これを生かして働かせるはたらきがぜんぜんなかった、納まっているだけ。一番はじめに、上のこうしたところを「天神」といいますよね、上のこうまるい、そしてここが竿であって胴があります、天神というのは天の神天地乃親神様がいちばんお喜び下さっているということ。
 子供がね親のために一生懸命真心を尽くす、その心根を神様が喜んで下さるその喜びが御霊様に映らないはずがない、だから御霊様だけが喜んで下さるということはあり得ない。神様が喜んで下さる、だから御霊様も喜んで下さるその喜びが、例えて申しますと電気興産は生の電気を扱えなければ一人前でないと言われていますよね。
 金光様の先生は生の御霊様を扱えなかったら、本当のお取次は出来んと云われています、いうならば、三味線をつぎ合わせてだけ位なら出来るかも知れませんけどね、調子をあわせて弾きこなすことはこれは私でなければ出来ない。私そういう意味が今日は三味線での御知らせは出来たんだと思うんですけれど。2●
 おかげを頂いて本調子ということは私は信心が本調子にならなければならないし、御霊様の働きもいままで納まってござったのが取り出されてそしてこれがあのう「胴」「竿」と「天神」と糸が架けられてそして本調子に、調子が合うということがね素晴らしい事なんです
 ここではお繰り合わせを頂くとか、素晴らしいタイミングとかと申しますでしょ、素晴らしいタイミングが生まれてくる、だから最近私が思うのにね、その調子も神様と氏子の、それから神様と御霊様とあなた方とのこの調子も本当は合わせ切らんで形だけお祭りを仕えておるといったような処が沢山あるだろうと思うですね。
 おかげを頂きまして、いうなら、出すところに出されてそれが調子が合うてこれからよい、いうならば、ねじうん・?が聞えるとような感じがいたします。
 ほんとうに一番ありがたいことはじっこうで・?信心さして頂いておりますから、あのうやはり親先祖に思う思いも、普通の仏教的に何年のご法事だからというて、まあ親戚を呼んで、綺羅星のごとくお坊さん達を沢山呼んでそして沢山のお膳を作って引きものを作って、こいとりね、・?仏さんも喜んでごじゃるじゃろうであって、それはどこまでも「じゃろう式」にしか終わらんのです。
 私があのう信心さして頂いてるとそれを前々から願いに願われてそしてお供え物一つの上にでも心を配ってこうやってお祭りが出来る、それを天地乃親、いゆわゆる天神、神様が喜んで下さらないはずがない、その喜びが御霊に分けられる、そしてそれからその余波が遺族の者に現われてくる感じです。
 これからどういうような音色のおかげを頂かれるか楽しみです、それにはひとつ上原さん信心がいよいよ本調子にならなければならないということですよね。 どうぞ。
●2-1ヶ                           入力 ひろさき